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竹中半兵衛は美濃の斎藤家に仕えていた頃から、優秀な軍師でした。
繰り返される織田信長の美濃攻めに対し、十面埋伏陣という独特の伏兵戦術
を使い、見事織田軍を撤退させることに成功します。
十面埋伏陣という戦法は全軍が伏兵と化し敵が侵入するやいなや、退路を断ち
一性に襲いかかる奇襲戦法です。
このように半兵衛は、その才覚を生かし乱世を生き抜いてきました。
そして秀吉に仕え、秀吉の軍師になったことでその才覚はより開花します。
軍師竹中半兵衛は調略を得意とし、戦わずして相手を倒すことに務めます。
もちろん、戦場で戦う場合でも軍師半兵衛は冷静に的確に判断します。
信長と浅井長政が敵対した時もかつて、長政に仕えていた頃の人脈を駆使し、
調略に成功し見事織田側に寝返らせます。
秀吉が命じられた、中国攻めにも参加し、その才覚を発揮しています。
毛利側についていた、宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、見事
織田側の形勢を有利にしたとして、信長から称賛されます。
半兵衛は信長に謀反を起こした、荒木村重の有岡城の戦いにも参戦します。
同じく秀吉に仕えていた黒田 孝高(よしたか)通称、黒田官兵衛がこの戦いで
有岡城に帰服を呼び掛けに行きますが、城内で拘束されます。これに対し、信長は官兵衛が
寝返ったと思い込み、官兵衛の息子後の黒田長政の殺害を秀吉に命じます。
しかし、竹中半兵衛は秀吉に自らその役目を申し出、黒田長政を自分の家臣の元へかくまい、秀吉には偽の首を進呈し長政の命を守りました。
すでに竹中半兵衛は病を抱えており、自分の命が長くはないことをすでに悟っていました。
自分が亡き後、秀吉を支えられる軍師は黒田官兵衛しかいないと、半兵衛は確信していました。
だからこそ危険を冒してでも官兵衛の息子を守ったのです。
織田氏と別所氏の戦い三木合戦のさなか半兵衛は病に倒れ死去します。享年36歳若すぎる死でした。
天性の才覚を持った軍師竹中半兵衛はまさに乱世を駆け抜ける駿馬のように走り去りました。