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斎藤一は本当に藤田五郎?

出身はほんとうはどこなの?

などなど、前回に引き続き、斎藤一の謎に迫ります!


引き続き、斎藤一のあるあるに迫っていきます。
明治維新後、警察官として明治時代を生きた男、斎藤一。
しかし、その陰で気になるのは彼の名前の変動です。
はたして彼はどうしてそんなに名前を何回も変えたのか・・・?
そして謎に包まれた斎藤の出自とは?さっそくご紹介していきます。

・斎藤一は藤田五郎?どうして名前が違うのか?

斎藤一は、わかっている中でも4回名前を変えています。
最初は山口一、という名だったのが、最終的に藤田五郎、となっていきました。
山口から斎藤になったのは、当時斎藤が旗本を斬ってしまい、江戸を出奔した際に必要となって別人の姓を名乗ったとされています。
又、最終的に藤田五郎になったのは、実は、今はその説は間違いともされています。
残されている史料から、藤田五郎と斎藤一が同時に存在しているということが疑われているからです。
したがって、現在は別人説も強いです。
藤田五郎=斎藤一、という説は、斎藤一の奥方である時尾の姓から、藤田を頂き名乗ったというのが有力です。

・斎藤一の出身

斎藤は、19歳の時、旗本と口論になりその相手を斬ってしまいます。
これが山口から斎藤に姓を変えた背景にあることは前述しましたが、その以前、斎藤の出身地が気になりますよね。
斎藤の父親が明石出身とされていることから、明石藩士と名乗っていたとも、会津出身だとも、播磨の出身だとも言われていて、いまだ究明されていないことが現実です。
父である祐助が明石の足軽だったが、江戸に出てから旗本鈴木家の足軽になった、というのは資料に残っているので、出自が明石というのが一番有力ではあります。

いかがでしたか?メディアにも多く出ている斎藤一ですがその多くは謎に包まれています。
いつか本当のことがわかる日が来ることを願っています。

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