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忍者には抜け忍と言って任務で命を落とす危険性が常にあったため中には忍びを辞めていくものもいたそうです。
その忍には存在自体に多くの情報があるためにあとから追い忍がつけていって音も無く消すこともありました。
忍には情報を守るということを何よりも大切にするために、敵の忍に捕えられた時なども尋問、拷問などで
簡単に口を割らないように訓練もされていました。
しかし時には自害も訓練の一環として義務付けられているので多くの忍が死をいとわなかったとされています。
また忍び刀は背中に刀を背負うと邪魔になるため、通常は武士のように腰に下げて携帯し、
床下に潜むときなど狭い所でも動き易くまた刀自体が盾代わりにもなるため背負っていました。
そして忍者は敵の密書を盗み、あるいは守っていくことを第一としていたために
戦うよりも逃げることに重点を置くため、通常は漫画にあるような
重い鎖かたびらは着用せず常に忍びの六具を所持しながら身軽な格好で任務を遂行します。
忍びの服装は、黒装束、まっすぐな忍刀、顔を覆っているという印象でイメージしていますが
実際には黒は夜に浮いて見えてしまうため忍の着ていた装束には紺や熟した柿色の衣装を使用していました。
これは黒色よりも柿色の方が安く作れるからという説もあり、
この衣装は、元々は現在の滋賀県南東部の甲賀や現在の三重県西部の伊賀地方で昔から着用されていた山着や
農民の野良着を改良したもので、またその状況に合った服装の町人や虚無僧、山伏や商人から
放下師、大道芸人、奇術師・猿楽、そしてポピュラーな武士や農民の七つに
変装して活動することは有名でこれは七方出の術と呼ばれています。