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1「寺の坊主から取り立ててもらった恩」
三成に関しては、秀吉に取り立ててもらった逸話が残っています。
その逸話曰く「とある寺に立ち寄った秀吉に、坊主であった三成は最初にぬるいお茶を出して喉を渇きを無くし、
その後で熱いお茶を出して、お茶の味を楽しませた。その心配りに感服した秀吉は三成を小姓にした」そうです。
この話、秀吉以外の者であったならば、ぬるいお茶が出た時点で怒っているかもしれませんし、
小賢しい真似をすると軽蔑したかもしれません。
その点から考えると、才ある者を好む秀吉だったからこそ、三成は取り立てられたと言えるでしょう。
2「秀吉のおかげでどんどん出世」
その後とんとん拍子に出世していきますが、その道筋を付けたのは」やはり秀吉です。
それが豊臣家に対する恩となり忠誠を誓うことになった一番の理由でしょう。
取り立ててもらったは秀吉のおかげ、出世したのも秀吉のおかげなのです。
もし槍働きで出世したのなら、それは自分の力のおかげであると考えることができます。
しかし内政などで結果を残す場合は、それをお膳立てしてくれる主君がいないことには力を発揮できないのです。
その点、秀吉という主君だったからこそ三成もその力を発揮できたのです。
3「普通に考えれば戦うのは無謀」
関ケ原合戦当時、天下の趨勢は豊臣家から徳川家に移りつつありました。
天下の情勢に聡い三成がそれを知らない訳がありません。
でもあえて豊臣家のために戦を起こした。
世間では未だに冷酷非情で計算高いと言われている三成ですが、打算だけの人間でしたら
次の天下人と言われている家康に戦いを挑もうとはしないでしょう。
関ヶ原の合戦を起こしたことこそ、豊臣家への忠誠の証だったのではないでしょうか。
おまけ「秀頼は三成の子」
以前秀頼の父親は三成だったのではないかという説がありました。
それが本当ならば、我が子のために豊臣家に忠義を尽くしたと言えますが、
どうやらこれは三成を貶めるための俗説だったというのが現在の有力説です。