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・父子二代にわたる夢! 仇敵本山氏を滅ぼす

長宗我部氏は元々阿波細川氏に仕える四国でも屈指の家柄でした。


細川氏の衰退とともに衰え、元親の祖父の代の時、領国を接する本山氏によって滅ぼされます。
当時6歳だった元親の父・国親は国司・一条家に引き取られ成長し、本貫三千貫を返還されて再興します。
国親・元親父子は、志半ばで国親が病死するという不運も乗り越え、9年という長い歳月をかけて父祖の仇・本山氏を滅ぼしました。

・土佐国統一へ! 謀略家としての元親の姿

同じ土佐国内の安芸氏を滅ぼした元親にとって、土佐国内に残るのは一条氏のみでしたが、
前述のように長宗我部家は一条氏に大恩があり、元親は一条氏攻めをためらっていました。
折も折、一条氏の当主・兼定が暗愚で家臣を斬り殺すという事件が発生します。
元親はこの騒動に介入し、一条家の家臣と謀り兼定を追放し、嫡子を当主につけさせた後に、
自分の娘を嫁がせ、ほぼ戦闘なくして一条氏を配下に収めることに成功します。
こうして土佐国は元親によって統一されたのです。この時、元親36歳でした。

・信長に四国統一の許しを請う

土佐平定を終えた元親の次の野望は四国制覇でした。
元親のおもしろいのは、この時も信長に使者を送り四国制覇の内諾を受けていることです。
当時の信長は、足利義昭を追放して室町幕府を名実ともに滅ぼし、中央に覇を唱えていましたが、
上杉氏、武田氏、本願寺、毛利氏など周辺にまだ敵が多く残っている状況でした。
しかし、元親は最後に勝利するのは信長であると見ていたのでしょう。
一方、元親に対する信長の評価として「鳥なき島のコウモリ」という言葉が残っています。
強大な戦国大名がいない四国で威勢を張る元親を、ワシやタカなど強い鳥がいないところで
大きな顔をするコウモリと例えたので、決して信長の元親に対する評価は高くはありませんでした。

・信長を嫡子の烏帽子親に!

元親は嫡子・千翁丸の元服にあたり、信長を烏帽子親として「信」の一字をもらい受け、「信親」と命名しました。
信親は成長するに従い、勇猛で知略に長けている上、長身で立派な体躯の美しい若武者になります。
元親にとっては自慢の最愛の息子でした。
しかし、信親への深い愛情が、元親の晩年の苦悩につながることは、この時点では誰も知りえないことでした。

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