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今年7月23日、岡山市の林原美術館と県立博物館が、長宗我部元親が
明智光秀の家臣・斎藤利三に送った手紙が見つかったと発表しました。
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変は、光秀の動機が何であったのか、諸説が述べられてきました。
古くは信長に対する光秀の怨恨説、光秀が天下を狙ったとする野望説があり、近年には光秀に信長を討つことを
指示・依頼した人物がいたとする黒幕説が展開されました。
黒幕の正体には、天皇の側近の貴族、室町幕府最後の将軍の足利義昭など、いくつもの名前が挙がっています。
長宗我部元親が黒幕だったとする四国説もそのひとつです。
・絶妙なタイミングで起きた本能寺の変
なぜ元親が黒幕と考えられるようになったのでしょうか。
友好的だった元親と信長の関係は、四国制覇を目前にした元親に対して、信長が阿波国の南半分と土佐国以外を
自分に差し出すように命令したことによって一変します。
元親は激怒し、信長との戦は避けられない状況になり、元親を攻めるため織田軍は大船団を編成しました。
本能寺の変はこの船団が出発する日の未明という、絶妙なタイミングに起きたのです。
・本能寺の変の黒幕は元親で決定か?!
軍団の規模、軍備から考えて元親が織田軍に勝利するのは難しかったでしょう。
本能寺の変が起きなければ、元親の長宗我部軍は壊滅していた可能性さえあります。
元親こそ、本能寺の変によって最大の利益を得た人物だったのです。
今回、発見された手紙も元親が信長の要求を受け入れ、臣従することの斡旋を光秀に取り次いでもらえるよう
依頼したもので、元親に戦争を回避しようという意図があったことはほぼ間違いないだろうと言われています。
手紙の発見によって、四国説が俄然注目されるようになりました。