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■幸村の家族
幸村が一流の戦国武将として活躍したのも、父である真田昌幸の存在が大きかったのは
見逃せない事実であります。


昌幸には、幸村の兄にあたる「真田信之」という息子がいます。

幼少の信之・幸村兄弟は、稀代の戦国武将であり、一時は長野県上田市周辺を治める大名にもなった昌幸に、英才教育を施されたのです。

有名なエピソードとして、こんな話があります。

昌幸は、幼い二人に軍事関連の戦略論を座学で教育しておりました。
そのとき、幼い二人のどちらかが
「トイレに行きたい」といったところ「今は戦い方を教えている時だ。
戦っているときは、その場でトイレをすませるものだ。したいなら、今すぐここでしろ!」
と、教えたそうです。

まさにスパルタ教育・・・

こんな厳しい父に扱かれた幸村だからこそ、有名な戦国武将になったのだと、うなずけるエピソードだといえますね。

幼い頃に、父昌幸にしごかれた兄弟は、やがて「大阪の陣」で敵味方に分かれて戦う事になります。

大阪の陣でのお話は、後ほどご紹介いたします。

■幸村の家来
幸村の家来といえば

・猿飛佐助
・霧隠才蔵
・海野六郎

といった、忍者達「真田10勇士」が有名ですね。

しかし、10勇士は架空の人物達であり、史実で幸村が活躍した戦場には居なかったのです。

この10勇士達は、幸村を題材にした小説が後世に伝えらると共に、加えられたというのが通説となっています。

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