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イスラエル・パレスチナ問題や中東問題と聞くと宗教対立のように思っていませんか?
確かに宗教も絡んでいますが、それだけではありません。
民族の対立や長い歴史の中で問題となってきた様々な要因が絡み合い、
現イスラエルを含むパレスチナではユダヤ人とアラブ人が代わる代わる定住していました。
このことにより正当な土地の帰属がどちらになるのかということが問題になり、現在の複雑な問題と化しているのです。
近代史を中心に、現代に繋がるイスラエル・パレスチナ問題の流れを見てみましょう。
・約束の地とバビロン捕囚
その昔、ヘブライ人が現在のイスラエル・パレスチナ地域に住んでいました。
しかし、彼らはエジプトやバビロニア王国によって奴隷として捕えられ、その地に留まることができませんでした。
彼らの悲劇的な境遇の中で世界中に散り散りになっていく彼らにとって
自分たちのアイデンティティとなっていたものがユダヤ教でした。
彼らが後のユダヤ人になります。
・シオニズム運動
イスラエル・パレスチナに定住していたユダヤ人たちは
ローマ帝国、イスラム帝国、オスマン帝国の支配を相次いで受けます。
また、世界各地に散らばっていたユダヤ人たちの間ではシオニズム運動の機運が高まります。
シオニズム運動とは「シオン」=イスラエルに帰り集おうという運動です。
・第一次世界大戦とバルフォア宣言
シオニズム運動の高まりと同時期に第一次世界大戦が起こります。
この時、ユダヤ人富豪の助けを借りるべく、イギリスが出したのがバルフォア宣言です。
これは、ユダヤ人がイギリスに協力し、戦争に勝った暁にはイスラエルにユダヤ人国家建国を約束するという内容でした。
・第一次世界大戦後(イギリス委任統治時代)
イギリスはユダヤ人たちの力もあり、戦勝国となります。
しかし、ここで問題が出てきます。バルフォア宣言により、イスラエルを
ユダヤ人に渡すことを約束していたイギリスでしたが、実は同時にアラブ人とも
フサイン=マクマホン協定によりイスラエルの地を渡す約束をしていたのです。
さらに、サイクス・ピコ協定によりイスラエルを含む中東地域を
フランス・ロシア・イギリスで分割統治しようとも言っていました。
第一次世界大戦後は結局バルフォア宣言を基本にユダヤ人がパレスチナに入ることが許されましたが、
多くの問題を抱えたまま、世界は第二次世界大戦へと突入していきます。
・第二次世界大戦とイスラエル独立
第二次世界大戦中にはナチスドイツの迫害によりパレスチナに移住するユダヤ人が急増し、
もともと住んでいたパレスチナ人との関係が悪化します。
また、大戦中はユダヤ勢力、アラブ勢力ともに、反英感情が高まります。
イギリスは大戦後、これ以上中東諸国との関係が悪化する事を恐れて
国際連合にイスラエル・パレスチナ問題の解決を委ねます。
その当時、国連で強い発言力を持っていたアメリカのトルーマン大統領の主導で
イスラエルがパレスチナから分離独立する議案が可決されます。
こうして1948年5月14日にイスラエルが誕生しました。
独立してやっと一段落かと思われたイスラエル・パレスチナ問題ですが、
この後4度にわたる中東戦争や2回のインティファーダ、内紛や日常的に起きているテロなど
数えればきりがないほどの問題が現代まで続いています。