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20世紀最大の美の巨人とも呼ばれるピカソ。
ひたすら描き続ける創作意欲と生涯に渡って変化し続ける作風の
インスピレーションの原動力を理解するには、
彼の人物像を知っておく必要があるでしょう。
1981年、スペインにて誕生
地元の小さい美術館の館長をしていた父の影響で絵を描き始めます。晩年のピカソの絵は遊び心満載ですが、
子どもの頃は緻密な絵やデッサンを描いていて全然子どもらしからぬ写実的な絵でした。
その頃から天才の片りんを見せていましたが、学校の先生の指導を聞かない「尖った」子どもだったようです。
20歳を前にパリに渡る
多くの芸術家の集まる大都会パリは、10代の青年の好奇心を刺激したはずです。
ルノアールも描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」はギラギラしたパリの享楽的な空気が漂い、
ロートレックの影響を受けています。この年に芸術雑誌を自ら創刊しますが、失敗に終わります。
親友の死、そして恋人やアフリカ彫刻との出会い
親友を自殺で失い、悲しみの中でも彼は描き続けます。
そしてパリで新しい恋人ができ、原始的なアフリカ彫刻に出会います。
この間の10年弱で彼の作風は目まぐるしく変化しています。
良い出来事にしても悪い知らせにしてもピカソは引き込まれやすい心を持っていて、
ピンっと反応したら素直に作品に取り入れるスポンジのような感性を持っていたのかもしれません。
2回の結婚、そして愛人
はじめの結婚相手オルガとはすぐに夫婦関係は破綻し、愛人と同棲を始めます。
その愛人との間に子どもができると急に冷めて、別の愛人ドラと交際して四角関係になります。
ピカソと付き合った女性の2人は後に自殺してしまいます。彼は生涯1人の人を愛すことはなく、
所帯じみた生活を嫌いました。付き合った女性はかわいそうですが、
これも芸術家をパートナーに持つことの宿命なのでしょうか。