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■ブルース・リーが築いたアクションの礎・常識を打ち破った伝説

アクション映画といえば、様々な見どころがある中、なんといってもアクションスタントが一番の見所です。
危険なアクションシーンでは、スタントマンが俳優の代わりにスタントするのが普通。


でも俳優の中には、危険をかえりみず自らスタントをする人達がいます。ここではその一部を紹介します。

まずは、カンフーアクション。カンフーを使った格闘シーンなどが特徴です。
中でも世界にカンフーの映画の一大ブームの立役者、そう、ブルース・リーです。
彼は自身の格闘技経験を活かし、様々な格闘におけるアクションを取り入れました。
彼のアクションには、武術を駆使したものが代名詞ですが、彼自身幼いころから中国武術の一派、えいしゅんけん(詠春拳)や節拳といった様々な中国武術などを学び体得していました。
同時に子役として(父親が元々俳優だったため)第二次世界大戦後の8歳頃から映画に出演しています。
さらに18歳の頃渡米し、そこで出場していた空手大会の演武の動画をみていた関係者の目にとまり、TVシリーズ「グリーン・ホーネット」の出演が決まったという経緯があります。
その番組の中で彼は日系アメリカ人の準主役に抜擢されます。
劇中にみせた彼の派手なアクションで一躍人気に火がつきました。

■ブルース本格的映画進出!

作品で跡を追う映画年表

1、「ドラゴン危機一髪」(1971公開)
1971年香港に凱旋したブルースのカンフー映画1作目「ドラゴン危機一発」が公開されました。
香港の当時の興行収入記録をぬりかえる程のヒット作となりました。

2、「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972公開)
この作品は、前作からさらに2週間程で記録をぬりかえ、アジア全域での人気を不動のものとなります。
この作品以降、ヌンチャクや「アチョー」という怪鳥音が彼のアクションの代名詞となる。

3、「ドラゴンへの道」(1972公開)
チャック・ノリスとの格闘シーンは必見です。

4、「燃えよドラゴン」(1973公開)
ブルースの死後アメリカ始め日本や世界中で公開されました。
特に、カンフー映画の世界的ブームを巻き起こした最後の作品はカンフーアクションにサスペンスの要素を加えたブルースの最高傑作といわれています。
 
5、「死亡遊戯」(1978公開)
1972年の秋にラストのアクションシーンのみを撮り終えた後、撮影中断となった幻の作品です。
後年彼の代役を起用して追加撮影を行い、公開されました。

 
■カンフーアクション驚愕の逸話!!

自ら武術を駆使したカンフーアクションというのはブルース以前からあったものですが、撮影にあたり動画を早回しして動きを素早く見せる工夫は通例としておこなわれていました。
しかし、彼はそのような演出は不要だったのです。
それどころか逆に、あまりに動きが早く当時の平均1秒24コマ(24fps)を1秒32コマ(32fps)で撮影していたのです。

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