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さまざまにメディア化されている土方歳三・・・
ぞんな彼には人知れぬ一面があった!
土方歳三のあるある、集めました!
鬼の副長、土方歳三。その冷酷までのリーダーシップは、隊士たちに恐れられていました。
しかし、その一方、慕われていたのもまた事実です。
そんな土方歳三が人々を惹きつけて止まない理由とはいったい何なのか・・・?
土方歳三の秘密に迫ります!
・土方歳三は実は文化人だった!?
土方歳三と聞いて、誠の旗を背に剣を振る姿が思い浮かぶ方、少なくないのではないでしょうか?
剣の腕前のさることながら、実は土方は、文化人の一面があったのです。
土方は、日頃から俳句や和歌をたしなんでいたとされています。
実際に、「豊玉発句集」という土方の詠んだ俳句や和歌が収められた本も残っています。
そんな土方は、辞世の句も読詠んでいます。それがこちらです。
「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも 魂は東(あずま)の君やまもらむ」
「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照るかと」
この2つのどちらか、とされていいます。諸説あるのですね。
・土方歳三は味方に殺された!?
こちらも諸説あります。土方の最期は函館戦争の最中だったのは明らかなのですが、
誰の銃弾によって絶命したのか、というのはいまだわかっていません。
一説では、味方が降伏に反対していた土方を暗殺した、とも言われています。
多くは流れ弾に当たった、というようにされていますが、明らかになってはいません。
この土方の死によって、戦況は乱れ、見方陣は総崩れになりました。
ちなみに、この場で土方が亡くなったということは確かとされていますが、
遺体はどこに安置されたかわかってはいません。
ほかの戦死者と一緒に埋葬されたのか、はたまた別の場所に置かれたのか、
真相はいかだ解明されていませんが、享年は35歳でした。
幕末に生きた土方歳三は、誠の旗のもと新撰組のために奔走しました。
そんな彼の地碑や銅像が、今もその信念のもと集まるファンの多さを物語っていますね。