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井伊直虎(男名ですが、実は女性)は生涯に二度この龍潭寺に身を寄せています。
最初のそれは淡いラブストーリー。


お相手の男性は許嫁の井伊直親、10歳の乙女だった直虎が彼を紹介されて一目見たその日から愛が芽生えたのでした。
嫁ぐ日を夢見ていた彼女でしたが、時代は戦国の真っただ中。
直親の父が今川の謀略に堕ちて自害させられると、許嫁の直親は身の危険を察知して信濃国に逃亡してしまいます。
それだけでも十分に悲しい別れであったのに、さらに追い打ちをかける知らせが届いたのでした。
それは直親が逃亡先で身を匿ってくれた家の娘と結婚してしまったというものでした。
普通なら代わりの男を探せばすむものを、直虎は直親への愛を貫き通すべく出家してしまったのでした。
そのお寺が龍潭寺だったのです。

やがて時が流れ、父の直盛が桶狭間の戦いで戦死。跡継ぎにと呼び戻した直親夫婦と一人息子の虎松でしたが、
今度は直親が今川方の闇討ちに遭って死亡。
とうとう彼女自身が直虎と男名を語り跡を継いだのでしたが、またもや今川の謀略に敗れ城を奪われてしまいます。
かくして再び龍潭寺へと身を寄せざるをえなかったのでした。

亡き許嫁直親の一人息子の虎松を寺で育てながら井伊家の再興を図っていた直虎が、最後の手段に打って出ます。
それは15歳になった虎松を長政と名を改め、家康に紹介し取り立ててもらおうと言うものでしたが、もはや一介の
尼風情が大名の家康に面談などかなうはずもなく、彼女がとった作戦は鷹狩に行く途中で家康に直訴しようというものでした。
直訴する長政を見て家康は「只者ならざる面ざしの小童」と一目で気に入り小姓として採りいれたのでした。
その後の長政の活躍を知らぬものはないでしょう。
井伊家は再興を果たし、やがて彦根藩35万石を付与されるに至ったのでした。

さて、お家再興の悲願を果たした直虎は48歳で死去しますが、自らの墓をあの直親の墓の横にと言い残していたのでした。
現在、左に直親右に直虎の墓が仲良く並んで立っています。
直虎の純粋な愛のありようを今に伝える墓石です。

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