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日本三名城にはいくつかの定義があり、それぞれの時代や何を基準にするかで変わってきます。
江戸時代初期では、機能美に優れたとして名古屋城、大坂城、熊本城が三名城と呼ばれています。
また城郭の規模などを基準にした江戸城、名古屋城、大坂城などもあります。
そして日本名城百選のトップ3である大坂城、熊本城、江戸城などがあります。
また松本城、姫路城、熊本城を三名城と呼ぶこともあります。
●熊本城はもともと城の集まり?
熊本城の場所にはもともと千葉城があり、次に隈本城ができました。
時代は文明年間(1469?1487年)です。
その後隈本城に入った加藤清正によって城郭が作られ、天守を完成させます。
1591年?1606年の間に清正公は城を完成させ、そして隈本城と改名するのです。
●熊本県民が誇る熊本城と加藤清正の魅力
一大名による城としては日本一と言われる熊本城、別名銀杏城とも呼ばれます。
そして三名城にも選出される一方、行ってよかったお城の1位にも輝いています。
また熊本城を築城した、賤ヶ岳の七本槍の一人でもある加藤清正は、
他にも江戸城や名古屋城などさまざまな築城にも携わりました。
加藤清正は当時ではかなり珍しい190cmもの大柄でさらに長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)という
長い兜を被り、凄まじく大柄な男に見えていたといいます。
金小札色々威片肌脱胴具足(きんこざねいろいろおどしかたはだぬぎどうぐそく)という
屍を連想させる鎧や十文字の片方が折れた片鎌槍、
帝釈栗毛(たいしゃくくりげ)という巨大な馬など
加藤清正には隈本城以外にも多くのシンボルがあるのです。
このように熊本城の魅力はまさに加藤清正の魅力と一致するのです。
熊本城には反り返る石垣で有名な「武者返し」、三の天守と呼ばれる「宇土櫓」、
銀杏城と呼ばれる所以となった籠城戦のための非常食として植えられた銀杏の大木があり、
熊本城のシンボルとして有名です。
熊本県民は熊本城とそれを築城した加藤清正を慕い誇りに感じています。
つまり熊本城と加藤清正を知れば熊本を理解するのにとても役立つのです。
観光の予備知識としても大活躍するでしょう。