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漱石が今日まで「国民的作家」として名を残している理由には様々なものがありますが、
その理由の1つに、人物の描き方があるといえるでしょう。
それぞれに悩みを抱えていたり、否応なしに移り変わっていく人間模様に呑み込まれていったりする
登場人物の姿に、読者は共感したり、疑問を覚えたりして漱石の作品を読み進めていくのではないでしょうか。
■『こゝろ』の登場人物と『坊ちゃん』のリンク
漱石の作品の中で最も有名なものの一つが『こゝろ』です。国語の教科書にも何度となく採用されてきました。この作品にも様々なユニークさがあります。
『こゝろ』は一人称で進められていく作品ですが、この中で主役となるのは「私」ではなく、明らかに「先生」です。もしくは「K」でしょう。
何といっても「私」は危篤の父親をほっぽり出して「先生」のもとに向かおうとするのですから。
そして読み終わった読者も、「先生」の歩んできた軌跡に圧倒され、もう「私」や「私の家族」などどうでもよくなってしまうことでしょう。
もしくはこの小説の主役は乃木将軍、あるいは「明治」という時代そのものともいえます。
「一つの時代が終わった」ことで自殺を決意する「先生」の態度は、第二次大戦後の人間には理解しがたいものがあります。しかし、当時の読者には呑み込めたのでしょう。
江戸時代に生まれ、明治の激動の時代を生き、第一次世界大戦の終戦を待たず死んだ漱石は、時代の移り変わりに特に敏感だったのでしょう。
時代の移り変わりという見方では、『坊ちゃん』も同様の視点があります。
『坊ちゃん』は勧善懲悪の作品、という見方がされていますが、事実だけを見てみると、校長らに鉄拳制裁を食わせた坊ちゃんと山嵐は教職を辞すことになり、赤シャツらは社会的に何も罰を受けていないのです。
いわば坊ちゃんらは江戸の象徴であり、明治という新しい時代に適応できずに生きていく、というシニカルな見方もできるのです。