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大分県は昔豊後国と呼ばれており(北部は豊前国の一部にあたります)、
鎌倉時代から安土桃山時代までは大友宗麟で有名な大友氏が支配していました。
江戸時代になると国内をいくつかの藩に分けられた状態で治められました。
そのため、大分県内に実は城下町が多く、今でも杵築城、日出城、岡城、佐伯城、臼杵城の周辺で
江戸時代の面影を残した街並みが多く残っています。
中でも臼杵の城下町は早くから保存・活用されており、寺町・武家屋敷街であった二王座周辺では
広範囲で古い街並みが保存されています。
景観保護のために何と電柱がありません。電線は地中を通されています。
二王座の中心地で整備された長く続く石畳路を散策すると、本当に江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
旧真光寺の建物を再利用した休憩所も、当時の面影が残る間取りと造りになっています。
二王座の高台から北の臼杵川沿いへ下ると、今度は商家が並ぶ一角が広がります。
八町大路と呼ばれる中央商店街にはこれまた昔ながらの建物が残り、お土産屋や飲食店として利用されています。
ご城下らしく江戸時代から続く造り酒屋や味噌・醤油屋も営業しています。
絶妙な甘辛さが美味しい名物のしょうゆソフト・みそソフトを食べながら、歴史と個性のある建物を見学するのがおすすめです。
ちなみに臼杵はふぐ料理が有名ですので、お財布に余裕があればちょっと贅沢なランチはいかがでしょうか。
商店街から臼杵城の方へ歩くと、稲葉家下屋敷が見えてきます。
稲葉家は江戸時代に臼杵藩主をつとめた家柄で、明治時代には華族となって東京へ移住しました。
ここは里帰り用として明治35年に建てられた邸宅で、現在は一般公開されています。
明治に造られた建物ながら武家屋敷のような風格で、付属する日本庭園も広々と整えられていてとても気持ちのよい眺めが味わえます。
稲葉家下屋敷から東へ歩くと臼杵城跡に着きます。
16世紀に大友宗麟により築城され、明治20年に周辺が埋め立てられるまでは周囲を海に囲まれた島一つをそのまま使ったお城でした。
現在は二ノ丸跡が公園に利用され、石垣や復元された大手門が残るのみとなりましたが、
ここから眺める臼杵城下町や臼杵湾の景色は中々のものです。
大分県観光で城下町めぐりと聞いてもいまいちピンと来ないかもしれませんが、
温泉めぐりや高原ドライブの旅と併せて、是非風情ある街並みをゆったりと訪れてみてください。