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三番隊隊長としての斎藤一・・・
警察官としての斎藤一・・・
2つの時代でそれぞれ生きた彼、その生きざまに迫ります。
斎藤一は、言わずと知れた新撰組三番隊隊長です。
又、その剣術の腕はかなりのものだったといいます。
そんな斎藤一は、戊辰戦争を生き抜いて、新時代、明治で生きた数少ない新撰組隊士の一人です。
それぞれの時代に生きた、斎藤一についてご紹介します。
・新撰組隊士から見た誠の旗。
斎藤一は新撰組がまだその名を名乗る前、「壬生浪士組」であったころから、近藤勇らと行動を共にしていたとされています。
その後新撰組幹部となり、わずか20歳の時副長助勤にも任命されました。
時には間者(今でいうスパイ)の役割も果たしていることから、かなり信頼を受けていたとみられます。
巡り巡って戊辰戦争では、会津藩士らと共に戦い続けましたが、降伏後は謹慎生活を送っていました。
戦争中、土方歳三と共に庄内に行かず、会津で戦い続けた理由はいまだわかっていませんが、
斎藤には自身の中だけに掲げていた信念、「誠の旗」があったのではないか、と思います。
・明治時代で掲げた誠の旗
明治時代になり、警視庁に採用された斎藤一は、警部補に任命された語、西南戦争に駆り出します。
賊軍とされた新撰組や、会津藩と共に戦った過去がある斎藤は、この時官軍として戦うことになったのです。
ここで、斎藤の「官軍」として戦い勝利する、という自身の姿は、かつて追い求めたものだったのでしょう。
明治でやっとまた自身の信念に報えたのだろうと思います。
斎藤一の掲げた「誠の旗」は、2つの時代できれいに翻ったことでしょう。
特に明治のそれを、散っていったほかの隊士たちに見せてあげたかったのかもしれませんね。