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近年ニュースでは眉をひそめるような報道がされています。
今こそ、平成の龍馬の登場が熱望されています。
それは、あなたかも。龍馬の少年時代はあなたと比べてどうだったのでしょうか。


■ 勉強嫌いで泣き虫だった
1835年(天保6年)に土佐藩(高知県)の土佐城下で生まれました。
父は坂本八平(さかもとはちへい)、母は幸(さち)。
子どもの頃は、寝小便たれだったとか、泣き虫だったとか、勉強が嫌いだったとか。

■ 母を亡くし、姉に育てられる
12歳で、母幸を亡くします。
それで、龍馬は3歳年上の姉乙女(とめ)にしつけられます。
姉は、「土佐の仁王様」「土佐のはちきん」などとあだ名されるほど、
体が大きく度量も大きく文武に長けていました。
弟龍馬が泣き虫なので、ますます厳しく勉強は剣術を鍛えました。

■ 中学生高校生の年頃は?
龍馬は14歳で日根野弁冶道場(ひねのべんじどうじょう)で柔術や剣の手ほどきを受けています。
また、水練(すいれん、水泳のこと)にも親しみ、心身を鍛えています。
雨の日にも「どうせ濡れたら同じ」と言って水練をしたという逸話もあります。
そんなところが龍馬らしいと言えます。乙女の教育の成果がでてきたようです。

■ 大学生の年頃に江戸に出た
19歳の1853年(嘉永6年)に藩命で江戸に出ることになります。
そして、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の千葉定吉(ちばさだきち)道場に入門します。
そのころ、浦賀沖にペリーが来航しました。龍馬は土佐藩士として品川付近の警備に赴きます。
この時は、攘夷の気持ちを持っていました。

龍馬の盟友武市半平太(たけちはんぺいた)が江戸で土佐勤皇党を結成しました。
当時の土佐には侍といえども身分の区別があり、対立していました。
龍馬は武市の指示に従って長州に行き、久坂玄瑞(くさかげんずい)などと国事を語りました。
長州で龍馬は大きな影響をうけたようです。
 

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