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さて、西郷さんの歴史上の活躍を見てみましょう。
幕末から明治新政府における西郷さんは何をしたのでしょうか。
■ 薩摩藩に貢献
薩摩藩が牽引した公武合体運動が失敗し、薩摩藩の評判は地に落ちました。
そこで、京都に人脈のある西郷が呼び戻され、禁門の変で朝廷の信頼を得ました。
そして、第一次幕長戦争という、いわば幕府と長州の戦争が起こりそうになった時、
西郷は長州の無血降伏を実現し、名声を得ました。
また、幕府と薩摩との関係が悪化すると、禁門の変で叩いた長州と薩長同盟を結びました。
幕府と朝廷と長州と敵になったり味方になったりといった政策で、
薩摩藩の名をあげていったのが西郷の仕事です。
■ 倒幕に貢献
さらに、討幕を決意し、長州はもちろん、土佐藩などとも提携しました。
徳川慶喜が大政奉還を行うと、王政復古のクーデターを起こしました。
これが明治政府の誕生のきっかけとなっていきます。
■戊辰戦争で戦う
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、東征大総督府参謀として、先頭に立ち戦っています。
そこで、弟従道(つぐみち)が貫通銃創の重傷を負います。
その時はイギリス人医師の外科手術を受けさせました。
■江戸無血開城を実現
鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜は新政府への抵抗をあきらめました。
そして、勝海舟を陸軍総裁に任命し、全責任を託しました。
勝海舟が交渉相手に選んだのは、4年前に意気投合した西郷隆盛でした。
勝は交渉が不調に終わった場合、江戸を焼き払うことも想定していたそうです。
西郷と勝の会談が成功し、江戸は無血開城を果たしました。
■西南戦争で自害
西郷は明治新政府に入りました。中枢にあって活躍したものの、征韓論で破れます。
そして、辞表を提出し、鹿児島に帰りました。明治10年(1877年)西南戦争で敗れ自害しました。
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遠藤