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島妻愛加那、本妻イトは、どう生きたのでしょう。

■ 押しかけ女房イト
西郷が奄美大島から薩摩藩へ呼び戻され、京都で手腕をふるいました。


その頃、イトは西郷さんの家に押しかけます。
西郷はイトの熱意に逃げ腰だったようですが、結局周囲の勧めもあって結婚します。
寅太郎、午次郎(うまじろう)、酉三(とりぞう)の三人の男児に恵まれました。
また、愛加那の産んだ菊次郎と菊草も引き取りました。
その時愛加那は、子どもと離れてどんな気持ちだったでしょう。
本妻が立派に育ててくれるという当時としては、ありがたい申し出だったことでしょう。
しかし、島に残された愛加那は、嬉しさの中にも寂しさがあったことでしょう。

■ 子だくさんの貧乏家族
大家族の西郷家は、政治上の活躍とは無縁で貧しいものでした。
イトは他の下級武士がそうであったように、農業や養蚕に精を出して西郷の留守を守ります。
西郷が明治政府に入ってからも、鹿児島で留守を守りました。

■ 銅像の西郷は、主人やなか!(主人じゃない)
西南戦争では、西郷の弟従道が官軍で、西郷さんは賊軍でした。
西郷が自刃した後は、賊軍の首領の家族ということで、日蔭の生活をしました。
しかし、やがて名誉が回復され勝海舟の骨折りで長男寅太郎の留学が決まります。
上野公園に西郷の銅像が立った時は、「これは主人やなか」と言い張ります。
それで、弟従道は大変困りました。
イトが言うには、西郷は身だしなみに気をつけ家でもきちんとしていたそうです。
着流しの姿で、衆目を集めることがなかったのは事実なのでしょう。

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