[相撲観戦を楽しむ為の豆知識!]TOPへ
スポンサードリンク
人には誰しも、幼いころの強烈な記憶というものがあるように思います。
私の中のその1つは「相撲」に強く結びついています。
私が初めて覚えた力士の名前は「十文字」「貴乃花」「武蔵丸」でした。
「十文字」は並み居る力士の中で珍しく名前の画数が少なかったからです。
「貴乃花」は当時とんでもなく強かった横綱でしょっちゅう名前を聞いていたら覚えてしまったからです。
「武蔵丸」は体の大きい力士のなかでもその目立つ巨体とその日に焼けた体が特徴的だったからです。
相撲の「場所」が始まると我が家は必ずテレビ中継を観ていたので、いつか観にいってみたいなあと幼心にそう思っていました。
その願いは突然叶えられます。6歳のとき祖父母と父とで初場所を観戦しにいくことになりました。
もう昔のことではあるが、すごく嬉しかったこともあってか、こまごました東京の記憶は薄いものの
あの大きな寺のような両国国技館を潜ったときの興奮の記憶は強烈なものでした。
一番のお目当ての貴乃花は最後に出るとのことで、それまで升席に入って取り組みを見ていました。
升席は勿論初めての私は、区画も座布団も正方形できっちりなのが好きなのかなあと思っていました。
場内で父が買ってくれた箱入りの焼き鳥の味がおいしかったので、後に私の大好物となりました。
祖母は箱を縛っていた紐であやとりを教えてくれました。
帰りの新幹線はずっとそれで遊んでいました。祖父は相撲の電光掲示板の見方を教えてくれました。
当時騒ぎたいけれどもおとなしい、という感じだった私だが取り組み前に「とちあずまー!!」と大声をかけた
祖母を見習って、次の取り組みからは「ちよたいかいー!!」などと叫んでいました。
お目当ての貴乃花が出てきた瞬間は大変な歓声で私も一生懸命名前を呼んで応援しました。
結果はあっさり圧勝でした。おとなしい私ですがずっと興奮しっぱなしでした。
6歳だったあの日から随分と時が過ぎました。今でも相撲中継は最後まで観てしまいます。
いつか私に子どもや孫ができたら、一緒に国技館へ行って焼き鳥を食べながら観戦したいなあと思いながら。