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■名前について
「真田幸村」といえば、戦国武将達の中でも知名度が高く、
歴史に詳しくない人でも一度は名前を耳にしたことはあると思います。


実は「幸村」という名前は、いわゆる「あだ名」みたいなもので、本当の名前は「真田信繁(さなだのぶしげ)」といいます。

では、なぜ本名の信繁ではなく、幸村という名前で広く知られているのか?

それは、真田幸村が大阪夏の陣で「幸村」の名で参戦し、獅子奮迅の戦いを披露。

その活躍ぶりが後世に称えられると同時に、そのとき名乗った「幸村」の名で、小説や物語が執筆されるようになった為
真田信繁ではなく、真田幸村という名が一般的に定着したと言われています。

■どんな風に育ったのか?
幸村は、武田信玄の家臣であった真田幸隆の孫にあたります。 

幸村の父は真田昌幸。 

幸隆の三男にあたる人物ですが、父の死後、2人の兄が戦死したため、真田家の家督をついで当主となりました。

この真田昌幸たる人物も、戦国武将の中で屈指の知略家でありました。

幸村は、父である昌幸に鍛えられて、父に勝るとも劣らない、武勇を兼ね備えた戦国武将になったのです。

○人物像
勇猛果敢で勇ましさが前面に出てしまいがちな、幸村の人物像は、歴史上の評価では
・常に冷静沈着。 物腰柔らかく、人に対して怒り散らすことは全くなかった。
・出陣の際には、家紋である六文銭の旗印を携え、いつでも三途の川を渡る覚悟で挑んでいた。
・見方はもちろん、敵からも「武士の鑑」として尊敬されていた。

と、強いだけではない事が伺えます。

幸村は、強さだけではなく、人望と知性を兼ね備えた人物であったことが伺えます。

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