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■内政外交非情さすべて兼ね備えた戦国のチート大名

武田信玄と言ったら戦に強かったというイメージが強い戦国大名ですが、一方で内政や外交にもすぐれた大名だったのです。


ではどのように優れていたのか具体的に見ていきましょう。

1「信玄堤で生産力アップと洪水防止」

まずは内政。武田信玄の領国であった甲斐国は洪水が多い土地でした。
信玄はそんな甲斐国に信玄堤と呼ばれる堤防を建設し、洪水の防止に努めるのと同時に、農作物の生産に必要な水資源確保にも力を注ぎました。
その結果農作物の生産量も増大させ、以前より甲斐国を豊かにするのに成功したのです。

2「外交力で敵を絞る」

政治家に必要なのは内政力だけではありません。
他の国との駆け引き、つまり外交力も必須だったのです。
では信玄の外交力はどうだったのでしょうか?
信玄の外交政策の根幹は多方面作戦の回避。
越後の上杉謙信をターゲットにしたときは、駿河の今川家や相模の北条家と三国同盟を締結して後方の安全を確保しようとしましたし、今川義元が桶狭間で討たれた後、今川家を攻める時には独立したての三河の松平家と共同して今川家を挟撃しています。
このように戦局に合わせて外交力を駆使するのは有能な政治家でないとできない芸当でしょう。

3「国のためなら身内でも容赦しない非常も政治家には必須」

あと政治家に必要なのは非情になること。国を守るためにはどうして必要になってきます。
信玄の場合、それまでの同盟国であった今川家に攻め込むときにその非情を表に出しました。
信玄は出兵に反対した重臣筆頭の飯富虎昌だけでなく、長男である武田義信を粛清しております。
実の息子、それも後を継ぐべき嫡子であっても、国のために捨てる。
まさに非情と言えるでしょう。

このように信玄は戦だけに戦国大名ではありません。
一人の政治家として武田信玄を見てみると本当に優れた人物だったことがよくわかりますよ。

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