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■腐女子歓喜!そんなことが現実に

戦国時代には男同志のカップルがたくさんいました。
そして武田信玄もその例外ではありません。彼にも愛した男がいたのです。


1「武田信玄が愛した春日虎綱」

信玄の家臣に春日虎綱という人物がいました。
ゲームなどでは高坂弾正昌信という名前で知られいる武将です。
この人物、元は農民だったらしく、それが武田家に重臣のひとりにまで出世しています。
もちろんそれだけの能力があった人物のようですが、優れていたのは能力だけでなく容姿も優れていたと言われています。
つまり顔が良かったのです。
そのために信玄に寵愛されて出世したとも言われているようです。

2「武田信玄が春日虎綱に出した書状の中身とは?」

実際、信玄が春日虎綱に出した書状が現存しているのですが、その内容にびっくり。
なんと信玄が虎綱から浮気を疑われ、そのことを虎綱に弁明と謝罪する内容だったとか。
証拠まで残っているのですから、言い逃れはできませんね。
信玄は正室の三条夫人と仲があまり良くなかったとも言われていますけど、案外、春日虎綱との仲が影響しているのかも。

3「普通だった男同士のカップル」

今の価値観から言ったら、表にできない関係かもしれませんが、戦国時代では男同士のカップルは普通でした。
有名なところでは織田信長と前田利家、上杉景勝と直江兼続などが知られています。
戦国時代において、一度戦に出ると数か月は戻ってこれません。
縁起を担いだ当時の戦では女人を連れていくのがご法度。そのため性処理を男同士でやっていたのです。
そして大名の身に周りの世話をする小姓は性処理もその仕事の一つだったと言われています。
だから小姓は顔が良い美男子が多かったとか。う~んなかなか大変な仕事ですね、小姓も。

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