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■みんな不幸になってしまった信玄の娘たち

信玄には6人の娘がいたと言われていますが、早くに亡くなった4女以外の5人について幸せとは程遠い人生を送ることになりました。


1「信玄の外交政策変更に泣かされた長女」

長女の黄梅院は、盟約の証として北条家にお嫁に行きます。
そこで黄梅院はたくさんの子供を生み、幸せな結婚生活を送っていたのですが、信玄の今川家侵攻により、武田家と北条家の同盟もご破算。
今川家に娘を嫁がせていた黄梅院の義父北条氏康はこれに激怒し、黄梅院は北条家から追い出されてしまいます。
心に傷を負った黄梅院はすぐに世を去ることになったのです。
信玄の外交政策による悲劇としか言えませんね。

2「信玄に婿を見る目がなかったばっかりに不幸になった次女と三女」

信玄の命により、信玄の次女見性院は穴山信君に嫁ぎ、三女の真竜院は木曽義昌に嫁ぎます。
穴山家と木曽家はそれぞれ名門国人衆の家。つまり信玄の力を高めるために嫁に行かされたことになります。
信玄が存命中は何の問題もなかったのですが、信玄亡き後、あろうことか穴山信君、木曽義昌両人とも
武田家を見限り、織田徳川方に寝返ります。
その結果、人質に出されていた真竜院の子供は兄である武田勝頼により処刑されてしまうのです。
また見性院も子供に先立たれて寂しい老後を送ることになります。
信玄がもうちょっと婿を見る目を持っていたならば、こんなことにはならなかったかもしれませんね。

3「悲劇の六女信松尼」

六女の信松尼は信玄の命によりある大名の長男と婚約することになります。
婚約者の名前は織田信忠。そう織田信長の長男です。
でもこの婚約は長くは続きません。信玄が上洛の途につくと、この婚約も破談になってしまいます。
しかし信松尼は他の縁談話に耳を傾けず、織田信忠のことだけを思い、死ぬまで結婚しませんでした。
こんな一途な信松尼の恋を潰した信玄は酷い親ですね。

4「まさか昨日の敵のところに嫁ぐことになった五女」

見方によっては一番幸せだったかもしれないのがこの五女の大儀院です。
この大儀院が嫁いだのは上杉家。そう川中島で5回も武田家と戦った不倶戴天の敵です。
嫁がせたのは兄である武田勝頼ですが、信玄が川中島に手を出さなかったら上杉家を戦いになることはなかったかもしれません。
そう考えたならやはり信玄のせいで嫁ぎ先で苦労したことになります。

このように武田信玄の娘たちは信玄の政策の犠牲になったと言えます。
今だったら考えられないことですが、この時代は仕方なかったのかもしれませんね。

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